
「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」日本館 荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」展示風景 2026 撮影:Uli Holz 提供:国際交流基金
赤ちゃんをあやしている老若男女が行ったり来たりしている。赤ちゃんを抱いている人たちはたいてい笑顔で、周囲は和やかなムードに包まれている。しかし、溢れんばかりの赤ちゃんたちにジャックされたかの会場は、どこか異様でもある。来場者がいつしかパフォーマーになっている日本館の荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」(共同キュレーター:高橋瑞木、堀川理紗)は、ほかのどんなパビリオンや作品よりも流動的な生の活気に満ちており、ある幸せのオーラを放っていた。展示の詳細については、こちらのレポートをお読みいただきたい。

美術作品からは、作家の恋人、家族、友人たちとの交流、当時の社会状況、また先達の作家たちからの影響が零れ落ちている。パフォーマンス・アーティストの荒川ナッシュは、結晶化するまでの作品に動機や滋養を与えた人々との関わりや時代的な背景を、史実とフィクションを織り交ぜながら展開する。しばしば作品は舞台上の役者のように擬人化され、作者の生や人々とのつながりを語り始める。第61回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館では、2024年に双子のクィア・ペアレンツになったばかりの荒川ナッシュの、子を持つことの喜び、責任、その複雑さといった経験が色濃く反映されているようであったが、そこにもやはり多様な人たちが招き入れられていた。

吉阪隆正が1956年に設計した日本館の正面には、ヴェネチアの空港に双子とともに降り立った荒川ナッシュとパートナーの姿が、吉阪とU研究室(吉阪研究室)の大竹十一の姿に描き替えられている。どうやら赤ちゃんは、人間の子供というだけでなく、芸術家が共同で生み出す作品のことでもあるらしい。吉阪は、建築だけでなく、都市計画や社会構造にも敷衍する概念として、「不連続統一体(DISCONT)」を掲げていた。それは、全体をひとつの秩序で統一しようとする近代建築に抗して、それぞれが個別なまま不連続に全体を形成するという思想であり、「DISCONT」とは「どこでも/いつでも/それぞれが/こんなことでも/思い切って/なんでも/提案しよう」という日本語の頭文字をつなげた標語である。独立した4つの柱が支え合い空間をつくる日本館は、その「不連続統一体」を体現したものと言える。登山家としても知られた吉阪の設計した日本館の導線は、さながら弧を描いて昇降する山のようであり、中心だけでなく、天井や壁の上の隙間でポーズを取る赤ちゃんたちは、これからの人生の探検家のようである。

日本館には、ほかにも様々な参加者、協力者が加わっており、オープン時にパフォーマンスを行ったアジア系アメリカ人のアーティストコレクティヴFAC XTRA RETREAT、1995年に日本館に初めて参加した韓国人作家のチェ・ジェウン、日本館と韓国館のコラボレーションにより実現した韓国館の出品作家であるチェ・ゴウンやノ・ヘリとキュレーターのチェ・ビンナ、作曲家のサージ・チェレプニン、映像作家の斎藤玲児、映像作家・小説家の中村佑子、赤ちゃん服の生地をデザインしたNUNO、赤ちゃん服を縫った荒川ナッシュの母とその友人たちなど、多彩な顔ぶれの人々が参加していた。
